2001年世界選手権旅日記


                       


 モスクワ郊外でアエロフロートの国内線旅客機が墜落した、というニュースを見て成田空港へ。この日乗るエアラインはそのアエロフロート。でも、別段どうってこと感じない。そもそも金属のかたまりが空を浮くこと自体、引力の法則に反した非自然的現象。何かの拍子に落ちるのが当たりまえ。飛行機は基本的に嫌いで、乗る時はいつも「これで人生が終わるかもしれない」と思って乗っている。

 そんな人間にとってみれば、飛行機が墜落したというニュースに動じることはない。いつも飛行機を怖がっているから、それ以上怖さを感じないのだ。ちなみにニューヨークで落ちたAA機はエアバス300、この日モスクワ郊外で落ちたアエロフロート機はイリューシュン、この日私達が乗るのはエアバス310とのこと。

 選手団はフリーが17日、女子が19日に現地に向けて出発している。この日のメンバーは筆者のほか、「格闘技通信」ライターの宮崎俊哉さん、「週刊ポスト」ほかで大活躍中でイスラマバード帰りのらつ腕ライターの横森綾さん、浜口親子応援団長の吉野十三五さん、クリナップの今村浩之監督の5人。しかし定刻になっても、1人が来ない。横森女史
(写真右)だ。全員が年上という一団を30分以上待たせるのだから、さすが戦地帰りの記者。度胸がすわっている。全員にビールをごちそうさせることにした。

 今回は機内預けのスーツケースは18.5kgと軽量化に成功したが、手荷物がパソコンやカメラ2台もあることもあって15kgを超えている。手荷物というのは重量制限はないものと思っていたら、5kgまでなのだそうだ。大幅にオーバーしているわけだが、交渉して何とかOK。でも重い。さらにテロ後、検査が厳しくなっているので税関入り口で全部を出させられ、厳重なるチェックで飛行機へ。

 飛行機には17日に東京で行われた大道塾(空手から派生した新格闘技)の第1回世界選手権に参加したロシア選手団もいた。ロシアは5階級のうち2階級で優勝しているので、世界チャンピオンの写真でも撮ろうかなと思って聞いてみたが、この一団にはいないとのことで、ちょっぴり残念。席は半分くらいしか埋まっておらず、2席を独占して寝転がることができたが、12時間近いフライトは長い。時に横森女史にパソコン教室を開いてもらって(彼女はロシア語ぺらぺらのほか、パソコンにも精通している技能を持っているのです)時間をつぶす。

 午後6時ごろ、やっとモスクワに到着。数えてみれば、これが18度目のモスクワ空港(往復で利用するので厳密には35度目)。わがふるさとに帰ってきたような気持(!?)。予想していたことだが雪が積もっている
(写真左=暗いのでこれが限界)。宿舎は空港の目の前にあるノボテル・ホテルなのに、出発のバスは8時にならなければ出ないという。20代と思える女性スタッフは愛想笑いも浮かべずに「エイト・オクロック」と言ってきた。日本なら「すみません」とか言いながら、ニコッと微笑むケース。まだ旧ソ連時代の無愛想スタッフは健在だ。

 2階にあるバーでビールを飲みながら
(写真左)時間をすごす。ビールの酔いと日本の深夜2時近いということで半分寝入った頃、バスでホテルへ移動。ここも何度も使ったホテルで、かつて知ったるホテル。しかし電話が通じない。聞いたところ、すべての部屋をシャットアウトにしているとのこと。E−メールを使いたいから、と頼むと「お金は持っているのか?」だって。払わずにトンズラする人が多いからかな? きちんと請求しないからだろ! 

 何とか使えるように頼んだが、結局ムダ。吉野さんが「まあビールでも」とすすめてくれたので、もういいや、と思ってこの日最後のビールをしこたま飲んで就寝。




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