2001年世界選手権旅日記


                  


 朝6時起床。ルームに運ばれたパン・コーヒー・ジュースで朝食をとり、7時10分のバスで空港(写真右)へ。ソフィア行きは9時40分。十分に時間があるので、喫茶店でコーヒーを飲む。宮崎さんだけ朝からビール。注文すると「ルーブルは持っているか?」と言う。「USドルだ」と言うと、「オンリー・ルーブル」という。時代は変わったものだ。以前ならルーブルお断りで、USドルのみだった。それだけルーブルが安定したということ。与党ナンバー2のアレクサンダー・カレリンのおかげか。

 飛行機に乗って座っていると、通路を見たことのある顔が近づいてくる。後ろの席にいた横森女史に「サイキエフ(シドニー五輪フリー85kg級優勝)に似ているのがいるよ」と声をかけると、「え? サイキエフじゃないの?」と言う。確かに本物っぽい。10月に日本に来た元全日本コーチのセルゲイ・ベログラゾフ氏の話によると、彼は今でもロシア一の実力を持っていて世界チャンピオンになれる可能性が高いが、五輪後、合宿に一度も参加せず、試合にも出ず、いい加減な態度なので世界選手権の代表を外されたはずだ。

 それなら、この日にソフィア入りする理由も分かる。ロシア語の話せる横森女史に「本人かどうか確認しろ」と確認してもらったところ、やはり本人だった。手をはたいて喜ぶ横森女史。彼女はサイキエフ兄弟(兄は76kg級)とレイポルド(ドイツ)のファンなのだ。一緒に記念撮影
(写真左)。興奮気味の同女史は隣に座ったロシア人に「サイキエフって知っている?」と話しかける。サッカーの選手でソフィアへ試合に行くというその人、「知っているよ」だって。かなり有名みたいだ。そこでカレリンを知っているかどうか聞いてもらったら、「彼を知らないロシア人がいるわけないだろ」だって。

 約2時間半後、ソフィアへ到着。雪こそなかったものの、すごく寒い。気温4度。肌にしみる寒さ。今村監督はポロシャツ1枚という格好で、見るからに寒そうだが、そんな素振り見せない。さすがだ。ホテルへ到着し、浜口さん親子
(写真右)ほか多くの選手やコーチと対面。いやがおうにも大会の緊張感が高まる。

 IDカード発行や食事のあと、すぐにコンピューター回線の開通に全力を尽くすが、いっこうに通じない。フロントにクレジットカードのデポを出さないとだめだったことが分かる。しかし、これも通じない。ビジネスセンターで聞いてみると、8階の部屋からでないとコンピューター回線は使えないことが判明。フロントへ行き、部屋の交換を要求するが、満室でダメだという。「それは困る。仕事ができない」と声を荒らげる。こうしたときは、大声でどなるに限る。一流ホテル(5つ星です)ほど、そうした客には弱い。

 「ビジネスセンターを使ってくれ」と言われたので、「24時間オープンじゃないじゃないか」と言い返す。「ユーにだけ24時間で使わせる」と言う。本当か? 使わせなかったらタダじゃおかないぞ、と思い、ビジネスセンターへ戻って再チャレンジ。しかし通じない。日本からブルガリアのアクセスポイントへかけてもダメだったが、ここからかけても同じ。ユーゴ、トルコといった近隣国のアクセスポイントにかけるが、ビジーでつながらない。しばらくして出直し。

 それでもダメ。ここでパソコンに詳しい横森女史にヘルプを頼む。手動でGRICへつなぐとあっさり成功。この女史はただものではない。その後、計量会場へ。男女同時開催ということで、練習場も計量場も男女が同じ。計量場では男子選手がフリチンで着替えていたり、女子選手も惜しげもなくアンダウエアー姿になっている。いくら時代とはいえ、ちょっぴり問題がありそう。富山英明強化委員長も同意見。イスラム圏の選手にとっては、女子選手と同じマットの上でレスリングをするのも(たぶん)抵抗があるだろうに、こんなことでは女子レスリングが世界的に受け入れられないだろう。

 いもを洗うような状態の計量が終了。フリー76kg級の小幡邦彦が世界V4のブバイサ・サイキエフ(ロシア)とシドニー五輪金メダルのはずがドーピングで失格し処分がとけたばかりのアレクサンダー・レイポルド(ドイツ)と同ブロック! でも計量失格が出た関係で、レイポルドが別ブロック。それでも元アジア王者のルスラン・キンチャゴフ(ウズベキスタン)と同ブロック。99年アジア選手権でフロントからのフルネルソンのような技で小柴健二がフォールされたシーンが脳裏をよぎった。

 ホテルへ戻り、大会本部にエントリー・リストを求める。「30分後に来い」と言う。その時間に行ってみると、別の役員が「きょうは出せない」という。いつものパターン。こうした時は引いてはダメ。「仕事ができない」「ここではやっていない」「やっているところから持って来い」などと押し問答。少しむきになり、「バレンチン・ヨルダノフ(ブルガリア協会会長)に言いつけるぞ」と脅す。ジャーナリストを甘くみられては、今後のためにならない。組み合わせを作っているとうスポーツセンターに取りにいかせる。

 その間に記事執筆やメールのテスト。午後11時、やっと男子のみのプロトコールシートが出た。女子はもう仕方ない。部屋へ戻り、この日から合流したカメラマンの矢吹建夫らとビールを飲み就寝。


《トップページへ戻る》

inserted by FC2 system