2001年世界選手権旅日記


                  


 朝起きると、外が雪化粧(写真右)。夜中、寒いわけだ。バスで会場へ向かうと、会場近くで97`級の小平選手の姿が見える。記者間で「ランニングでここまで来たんじゃないか?」「この雪の中を? まさか」「パシリで、水でも買いに行かされたんだよ」などと話し合う。あとで本人に聞いてみたら、筆者の予想どおりランニングでここまで来たのだという。試合で負け、翌日から練習。この姿勢がいつか生かされてほしい。

 この日の午前で男子はすべて終了。8位入賞なしの世界選手権は1998年のイラン世界選手権以来2度目。昨年のシドニー五輪もフリーは入賞なしだったから、2年連続だ。確かに組み合わせの不運はある。同じブロックに強豪が入ってしまうと、1敗しただけで8位入賞の可能性がなくなる。特に今回は、どのブロックにも強豪と呼べる選手が入ってしまい、苦しい闘いだったことは分かるが、ちょっと寂しい。


 76kg級でブバイサ・サイキエフ(ロシア)とジョー・ウイリアムズ(米国)の対戦。ラスト数秒にウイリアムズのバックドロップが決まったかに見えたが
(写真左)、ビデオ・チェックの結果、場外に出たと判定されて0点。猛抗議するウイリアムズ。どう見ても3点は入っている。しかし結果は覆らない。今までならプロテスト(書面抗議)のケースだが、それの廃止によって何もなし。やはりプロテストは必要ではないか? 

 午後の部は2日目にスタートした階級の準々決勝が行われるとばかり思っていたが、プログラムを見るとそれはなし。最終日の午前に準々決勝、準決勝をやるのかな、と思っていると、場内アナウンスで「ヒトミ・サカモト」と呼ばれている。試合があるのだ。記者席と反対側にある選手団席で日本陣営が大慌て。シングレットは着ていない、シューズもはいていない坂本と栄和人コーチが血相を変えて(遠いから表情まで見えなかったけど)マットへ向かう。

 マットの上ではすでにレフェリーが立っていて、試合を開始する準備。相手のフランス選手がいち早くコーナーで待機している。マットサイドでは、横森女史がプログラムをレフェリーに見せて「予定にない」とアピールしている。日本チームのミス? あとで聞いてみると、相手のフランスのコーチと「きょうは試合がないみたいだね」と話していたのだという。スケジュールの変更(追加)の配布が遅れたのだ。

 辛うじて坂本の準備ができ、ウォーミングアップなしで試合、という段階になった時、国際レスリング連盟(FILA)のラフィー・マルティニティー副会長(審判担当)が事情を察したらしく、5分後に始めると強権を発動。とりあえず打ち込みなどをして試合に臨めた坂本。そのうっぷんを晴らすかのように速攻で試合を決めた。

 その後の56kg級決勝で山本聖子選手が優勝
(写真右)。これまでの世界女子選手権では、日の丸を見つめて君が代を聞いても、その大会だけという気がしたが、これからは常にオリンピックがその向こうにある。そのことを、今回の君が代を聞いて感じた。

 それにしても、この国の運営は本当にデタラメだ。パソコン通信の接続だってなっていない。もっとも、昨秋に東京で世界学生選手権が行われたとき、外国のメディアは「パソコン先進国の日本だから、プレスセンターにパソコンくらいおいてある」と思って来日したのに、あるのはファックス1本だけという状況。今回のプレスセンターには、5台のパソコンが置いてあった。この点では日本の方が遅れていることになる。来年からは国際大会を年に1回は東京で開くことにしているが、先進国の名に恥じない体制を作らなければなるまい。

 午後の部が終わり、遅くなって出たリザルト(成績)をもらってバスに乗ると、ドーピングを終わった山本選手と、付き添いの斉藤選手、坂本ドクターのみが乗っていた。これが最終バスみたいだが、出発までかなりありそう。「まだ(ドーピング中の選手は)かなりいた?」と聞くと、まだ何人もいたとの答え。いつになるか分からないのでタクシーで戻ることにしたが、1台で行くには人数が1人多くなる。筆者のみ、待ち時間で原稿を書くため居残った。

 しかし、待てど暮らせど出発しない。時間はもう10時近い。あきらめて、ただ1人タクシーでホテルへ。記録と原稿を日本へ送って部屋へ戻ると、同室の宮崎さんから「ロディナ・ホテルの2階のレストランいます」との書き置き。すぐにタクシーで向かうと、宮崎さん、矢吹カメラマン、岩間選手の取材に来ていた中京テレビのスタッフ、土曜日なので記事送信のない東京スポーツ(日曜日は発行休み)の中村亜希子記者、下田カメラマンの姿も。ソフィア2度目のブルガリア料理を堪能。あとで、置いてけぼりにされた横森女史が怒ること怒ること。


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