高 田 裕 司(たかだ・ゆうじ)



 68年のメキシコ五輪のあと、一時落ち込んだフリー52kg級(旧フライ級)だが、加藤喜代美が72年ミュンヘン五輪で勝ってつないだあと、不世出のレスラーによってさん然と輝く金字塔が打ち立てられた。高校時代は全国大会3位が最高だった高田が73年世界3位のあと、無敵の快進撃を続け、74・75年世界選手権、76年モントリオール五輪、77年世界選手権と優勝を重ねた。

 78年はソ連のアナトリー・ベログラゾフに不覚を喫し5位に終わったが、翌年雪辱して優勝。80年モスクワ五輪での五輪V2も確実視された。しかし、日本のボイコットで夢ならず。五輪を含めて5度の世界一でひとまず選手生活を終えた。

 その後、1984年ロサンゼルス五輪へ向けてカムバックしし、胴メダルを獲得。コーチとして参加した1988年ソウル五輪のあと、日本の不振に業を煮やして再復帰。1990年の世界選手権日本代表となって出場したが、8位に終わった。


【生年月日、出身】1954年2月17日、群馬県出身

【所 属】群馬・大泉高〜日体大(モントリオール五輪時)

【全日本選手権成績】73年=優勝、74年=優勝、75年=優勝、76年=優勝、77年=優勝、78年=優勝、79年=優勝、80年=優勝、84年=優勝、90年=優勝(以上フリー52kg級)

【五輪・世界選手権成績】73年=3位、74年=優勝、75年=優勝、76年モントリオール五輪=優勝、77年=優勝、78年=5位、79年=優勝、80年モスクワ五輪=幻の代表、84年ロサンゼルス五輪=3位、90年=8位

 

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