朝 倉 利 夫(あさくら・としお)



 グレコローマン52kg級で79年世界選手権3位。80年モスクワ五輪の代表になりながら、ボイコットによって無念の涙をのんだ。その後、高田裕司の引退したフリー52kg級へ移り、81年世界選手権で優勝。あたためていた実力を開花させた。

 84年ロサンゼルス五輪では高田裕司の復帰、88年ソウル五輪では新鋭の金浜良の出現でいずれも逃してしまっただけに、モスクワ五輪不参加が残念。


【生年月日、出身】

【所 属】鹿児島・鹿児島商工高〜国士大〜国士大助手(世界王者時)〜国士大教

【全日本選手権成績】78年=2位、79年=優勝、80年=優勝(以上グレコ52kg級)、81年優勝、82年優勝、83年優勝(以上フリー52kg級)、84年2位(グレコ52kg級)、85年優勝、86年優勝、87年優勝、90年優勝(以上フリー57kg級)

【五輪・世界選手権成績】79年=3位、80年モスクワ五輪=幻の代表(以上グレコ52kg級)、81年優勝、82年3回戦敗退、83年=2位(以上フリー52kg級)、85年=4位、86年=3回戦敗退、87年=7位、90年=2回戦敗退(以上フリー57kg級)

 

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