【特集】名勝負数え歌! ライバル対決に勝つのはどちらか(6)
男子フリースタイル60kg級 湯元健一(ALSOK) − 高塚紀行(自衛隊)
【2010年12月13日】
2008年北京五輪で、最後まで日本代表が決まらなかったのが男子フリースタイル60kg級。2005・07年世界選手権代表の湯元健一(現ALSOK、当時日体大・日体大助手=左写真)と2006年世界選手権3位の高塚紀行(現自衛隊、当時日大=右写真)とが一騎打ちを行い、五輪の1ヶ月半前に代表が決まった。
大阪・吹田市民教室〜茨城・霞ヶ浦高とレスリングのエリート・コースを歩んだ高塚に対し、湯元は一時期、相性がよかった。高塚が世界3位になった段階で、高塚に7勝3敗の成績。「世界3位より強い男」というニックネームをつけられたが、「自分が世界3位以上になっているわけではないので…」と謙そんしていた。しかし高塚との五輪代表争いに勝ち、五輪で銅メダルを獲得。ニックネームを本物に変えた。
北京五輪後、前田翔吾(ニューギン)と小田裕之(国士舘大)という若い2人にアジア選手権と世界選手権代表の座を奪われている同級だが、2009年全日本選手権と2010年全日本選抜選手権で、高塚はともに2位、湯元はともに3位の成績を残し、依然として日本代表を射程距離においている。
「若手に奪われた」と言っても、ともに20代中盤。北京五輪前に日本レスリング界を湧かせた黄金カードが、2012年ロンドン五輪の代表争いでも再現する可能性は十分だ。今年5月の北京五輪後最初の対戦では高塚が勝ち、対戦成績は湯元の8勝5敗と縮んだ。このあと、どんなドラマが待っているか。(男子フリースタイル60kg級は12月23日)
2007年全日本選手権で優勝を争う高塚(青)と湯元。この試合は高塚が勝ち、北京五輪代表争い一歩リードしたが…。(撮影=矢吹建夫) |
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=両者の対戦成績=
《2010年》 |
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湯元健一(ゆもと・けんいち)=ALSOK 1984年12月4日、和歌山県生まれ、26歳。和歌山ジュニア教室出身。和歌山・和歌山工高〜日体大卒。高校時代の2002年に全国高校選抜大会とインターハイで優勝。日体大へ進み、2003年に東日本学生秋季新人戦で優勝、2004年にアジア・ジュニア選手権3位と力を伸ばし、全日本選手権で3位に入賞。2005年に全日本選抜選手権で優勝し、世界選手権へ出場(13位)。同年の全日本選手権で初優勝。 2006年は日本代表を逃したが、2007年世界選手権に出場。同年の全日本選手権で2位となり、翌年の北京五輪最終予選で出場権を獲得。全日本王者の高塚紀行とのプレーオフに勝って五輪へ出場し、銅メダルを獲得した。 2009年秋にカムバックし、全日本選手権3位。2010年全日本選抜選手権も3位だった。165cm |
高塚紀行(たかつか・のりゆき)=自衛隊 1985年4月28日、大阪府生まれ、25歳。茨城・霞ヶ浦高〜日大卒。少年少女クラブの名門、大阪・吹田市民教室でレスリングに取り組み、1991〜97年に全国少年選手権を7年連続優勝。全国中学生選手権でも1999・2000年を連覇して茨城・霞ヶ浦高校へ。2003年には高校四冠王(全国高校選抜大会、JOC杯ジュニア選手権、インターハイ、国体)に輝いた。 日大では、2004年に全日本大学選手権で大会史上13人目の1年生王者へ。2005年も世界ジュニア選手権で銅メダルを取り、ユニバーシアードへも出場した。2006年世界選手権で銅メダルを獲得し、2007年全日本選手権で優勝。しかし2008年アジア選手権は2位に終わるなどし、北京五輪へは出場できず。2009年全日本選手権、2010年全日本選抜選手権はともに2位。163cm。 |