【特集】4年前の小平清貴コーチの悔しさの分も燃えた…男子フリースタイル96kg級・磯川孝生(徳山大職)
【2010年11月26日】



(文=樋口郁夫、撮影=保高幸子)



 今年5月のアジア選手権で銅メダルを取った男子フリースタイル96kg級の磯川孝生(徳山大職)が、アジア大会でも銅メダルを獲得。日本重量級の存在をアピールした(右写真)。ファーコド・アンクロフ(タジギスタン)を破ってマットから降りると、感極まって号泣。言葉が途切れ途切れになってしまう。「アジア大会のために、職場や家族ほか多くの人がバックアップしてくれた。そんな人たちに報いなければならないと思っていた」と、心の底から絞り出すように話した。

 期待に応えようという気持ちがプレッシャーになってしまったという。それを乗り越えての銅メダル。同じアジアの銅メダルであっても、総合大会の銅メダルは重みが違う。「自分のメダルの数が日本のメダルの数になる。重量級は厳しいと言われる中で取れたメダル。(こちらの方が)大きな価値あるメダルです」と、喜びは倍以上だ。

 初戦は途上国のUAEの選手に快勝したが、準決勝では、クルバン・クルバノフ(ウズベキスタン)にポイントを取ることができずに敗れた。「やはり旧ソ連には勝てないのか…」という気持ちになってもおかしくない。しかし磯川は「決勝や3位決定戦に変わっただけ。気持ちを切り替えて頑張りました」と、ショックを引きずることなく3位決定戦に臨めたという。

 アジア2大会連続の銅メダル獲得の原動力は何か。磯川は技術的なこと以上に「全日本の合宿で、所属の合宿で、きつい練習をやってきた。重量級だけの合宿もやって、自信を持って臨めたことだと思います」と話した。

■出場権を取れないでいる五輪のマットが見えてきた?

 重量級が取ったメダルということで、特別に感じることもある。全日本チームの合宿で重量級担当として指導してもらっている小平清貴コーチ(警視庁)は、4年前のドーハ大会では重量級の派遣カットの方針のもと、そのマットを踏むことができなかった。

 「熱心に指導してくれている思いを返すのは、この舞台しかないと思っていた」と磯川。セコンドから声をからしてアドバイスを送り続けてくれた小平コーチは、試合後、「本人は自分のレスリングをやってくれた。自分が出られなかった分を合わせ8年分の思いをぶつけてくれた」とうれしそう
(左写真=試合後、小平コーチの胸で号泣した磯川)

 小平コーチによると、相手はロシアからタジギスタンに流れた選手とのことで、実質的にはロシア選手に勝ったようなもの。世界選手権での初戦はブルガリア選手を破っており、レスリングの強豪国の選手を続けざまに破ったことになる。「この勝利は大きな自信になる。自分と同じくらいの実力の選手には確実に勝てるようになっている」と、磯川の成長に声が弾んだ。

 「今までやってきたことを信じてやってきた。迷いもなく試合をすることができたのは、練習のおかげです」と、猛練習の成果を繰り返し口にした磯川。この銅メダルで、1996年アトランタ五輪以来4大会連続で五輪のマットに上がることができないでいるフリースタイルの重量級(90kg以上の階級)に、2012年ロンドン五輪の道が見えてきたと言えるだろう。

 もちろん、それには世界の壁に挑まねばならず、アジア3位が出場資格ではない。磯川は「まだオリンピックを論じるところに来ていない。これをステップにして、もっとレベルアップしていかなければならないと思います」と気を引き締める。五輪のマットに立つために、本当にきつくなるのはこれから。日本重量級の躍進へつながる闘いが期待される。

 

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