2011年全日本チーム記事一覧


【特集】目指せメジャースポーツ!…ローマ五輪代表・平田孝さんからの熱きメッセージ(下)
【2011年2月18日】


(文=樋口郁夫)



 日本におけるキッズ・レスリングのスタートにかかわった平田孝さん。競技人口の増加につながる現在のキッズ・レスリングの隆盛はうれしい限りだろうが、小さい頃からレスリング一筋にやらせることには賛成しない。(右写真=1月の全日本マスターズ選手権。左端が平田さん。その右から米盛勝義さん、笹原正三・前日本協会会長、吉田義勝さん、本田賀文さん)

 もちろん、「最終的にはレスリングに専念しなければ、オリンピックで優勝することはおろか、出ることもできないでしょう」と断言する。米国の高校や大学はシーズン制で夏と冬とで別のスポーツをやることになっていて、厳しいペナルティーがあるので厳守されているそうだが、それだけで「オリンピック代表になった選手はいないだろう」と言う。

 ただ、「語弊が出てくいるかもしれませんが」と前置きしたうえで、「小さい頃からレスリング一直線といのはどうかな…。食事に必要なことは、いろんなものを食べてみて、その中からおいしいもの、バランスのいいものを選ぶこと。それと同じで、レスリングだけというのでは偏りが出てしまうでしょう」と言う。

 「他のスポーツをやるべき」「…やるべきではない」ということではない。ひとつのことばかりやっていると、偏ってしまい、「途中で嫌になってしまう可能性の方が高いのでは」という理由からの主張だ

 レスリングをやっていた人が、自分の子供にレスリングをやらせ、オリンピックに出てほしいと期待するのは、親として当然かもしれない。だからこそレスリング一直線の道を歩ませるのだろうが、「親の願望でやらせては駄目ですね」とも強調する。
(左写真=全日本マスターズ連盟の10周年記念パーティーで乾杯の音頭をとる平田さん)

■「レスリングしか知らないでは、偏ってしまう」

 では、もし子供が小学生くらいのうちに「レスリングでオリンピックに行きたい」という強い気持ちを持ったら、どうするべきか。この問いにも、「それであっても、他のスポーツもやらせるべきだ」と言う。「私の場合、八田会長の影響もあったのですが、レスリングのほかに合気道と柔道やっていて、ともに段を取るまで打ち込みました。すべてレスリングのためだったのですが、他のスポーツを知ることでレスリングに役立つことは多い。やはり、レスリングしか知らない、では偏ってしまいますよ」と言う。

 レスリング以外のスポーツをやらせ、そちらの方が面白くなって、それに取り組むことになっても、レスリングのベースがあったからという事実があれば、「それでいいのではないかな」と言う。平田さんには3人の孫がいて、いずれも幼い頃はレスリングをやっていた。「家にマットを置いていましたから、転がって遊んでいるうちにレスリングをやるようになりました。レスリングの基本の動きは、赤ん坊がハイハイして、ひとりで歩くようになるまでの動きですから、人間の基本のスポーツですね」。

 現在はいずれもアメリカンフットボールの選手。一番上のマルコム・ジョンソンさんはオレゴン高校の「ビッゲスト・スター」と新聞に紹介されたほどの選手に成長した
(右写真)。レスリングを卒業したあと、野球、バスケットボールをやり、最後にたどりついたのがアメリカンフットボール。米国の学生スポーツはシーズン制であり、他にも陸上もやっており、こちらでもレギュラーだという。

 最初にレスリングに取り組んでも、適性や好みによって別のスポーツをやるようになることは、米国でもよくある。そのままレスリングに戻ってこなくても、「それは、それでいいと思う」と言う。「結局、レスリングをやっていた人が、社会でどれだけ活躍するかが、そのスポーツのステータスになると思います。レスリング界の中だけで、オレが1番だ、アイツより強い、とか言い合っていては、サッカーのように世界に広まりません」。スポーツ界のみならず、社会の多くの分野でレスリング経験者が活躍することが、レスリングのために必要と訴える。

 直径9メートルのマット上の闘いだけがすべてではなく、その後の人生にレスリングをいかに役立たせることができるかどうか。米国の実業界で成功した人だけに、グローバルな視野からレスリングを見つめていることがうかがえる。

■最大のライバルは、最高の友…旧敵とは今も熱い交流

 「今の自分があるのはレスリングのおかげ」と言う。最大の恩師の八田一朗会長の位牌が家にあり、今回の帰国でもお墓参りへ行った。「八田イズムを論じる人は、一度でもお墓参りにいかなきゃね」。

 先人を大切にするとともに、現役時代に強敵だった選手との親交も大事にしている。今回の来日では、そんな人たちと会う目的もあった。強烈なライバルだった原田紀之さん(1962年世界2位=前石川県協会会長)は、最後の対戦となった1962年の全米選手権で初黒星を喫した相手。その必死の形相の前に、負けても「すがすがしい気持ちになった」という相手。今回の帰国で石川県を訪れた時には、誠意をもって迎えてくれた。

 それ以上の強敵だったのは慶大OBの今井清吉さんで、10年間の選手生活で一度も勝てなかった相手(今井さんの記憶によると1敗しているとのことだが、平田さんに記憶はないという)。もちろん今回、再会した。他にも前群馬県協会会長の兵藤三郎さん、世界2位の成績のある桜間幸次さん、岡山県協会会長の梶川政文さん、前日本社会人連盟理事長の小川雅巨さん、三重県協会の岩名秀樹会長…。「日本一を争った選手は、今、みんな親友だね」と、しみじみ言う。
(左写真=米国で牧場経営していた時の平田さん、左は夫人)

 それだけに、日本に五輪選手や往年の名選手が一堂に集まるような会が存在しないことが、ちょっと寂しそう。米国では「殿堂」があり、かつての強豪や功労者を讃える組織がある。各大学にも、往年の名選手の写真が額に入れられ、ずらりと飾られている。高校生選手がそこを訪れると、その大学に入りたくなるようなムードがあるという。

 「歴史が200年ちょっとの国。でも、過去の偉業を大事にする。日本は3000年の歴史があるがゆえに、過去を大事にしないのかな。逆じゃないのかな」と、日本版の殿堂か、「オリンピアンズ・クラブ」といった会の発足を願っている。

 最後に今回断念した全日本マスターズ選手権への提言。「苦言ととられては困る。そんな立場ではない」と強調しつつも、「出場を決意した段階で、私はちゃんと健康診断を受けました。でも、診断書を提出する場所がなかった。年をとった人がやるわけですから、健康管理を一番大事にするべきだと思います。事故が起きてからでは遅すぎます」。

 日本レスリング界の未来に期待しつつ、1月下旬、米国へ戻られた。

 

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