2011年全日本チーム記事一覧


【特集】1階級アップの壁を乗り越え、目指すは日本代表…男子フリースタイル74kg級・鈴木崇之(警視庁)
【2011年2月24日】


(文=樋口郁夫)



 2012年ロンドン五輪を目指す現在の日本の男子トップ選手の中で、キッズ時代にずば抜けた成績を残している選手といえば、フリースタイル60kg級の高塚紀行(自衛隊=全国V7)、同級の石田智嗣(早大=同)、同96kg級の磯川孝生(徳山大職=同)らの名前が挙がる。フリースタイル74kg級の鈴木崇之(警視庁=右写真)も、1988年の全国少年選手権幼年の部23kg級優勝に始まり6度優勝を達成。レスリング・エリートの道を歩んできた選手だ。

 ここ数年、74kg級の2番手、3番手が続き、JAPANジャージを着ての海外遠征から遠ざかった。74kg級にアップしたのが、2008年北京五輪出場の道が断たれた2008年春。一般的に、1階級アップして通用するまでには2年はかかると言われる。74kg級で2位、3位をキープしてきただけでもオンの字なのだろうが、実績十分の選手だけに、常に優勝争いを展開してほしい選手。「3位」では物足りなさを感じる。

 昨年10月の国体では頭部から出血するというアクシデントにもめげずに2年連続優勝を飾り、12月の全日本選手権で2位。やっと全日本チームの冬の海外遠征に加わる実力を身につけた。1月下旬にあったロシア最高レベルの国際大会「ヤリギン国際大会」では初戦敗退に終わったが、「日本で闘うのとは違う緊張感がありました。新鮮な気持ちになりました」と、再び世界を目指すという気持ちになった。それだけでも行っただけの価値があった遠征といえるだろう。

■ロシア遠征で、2007年のバクー世界選手権で感じた興奮を思い出した

 北京五輪を目指して全日本チームが燃えていた2007年に世界選手権の日本代表を経験している
(左写真)。五輪代表権をかけたアゼルバイジャン・バクーのあのマットで感じた興奮と快感は、今も鈴木の選手生活を支えている。しばらく海外遠征から遠ざかったため、その気持ちを忘れかけていたが、「ヤリギン国際大会」に出場してレスリング王国の熱狂にふれ、あの気持ちを思い出した。「もう1度、世界選手権のマットに立ちたい」。その先にロンドン五輪のマットがあることは言うまでもない。

 身長170cm。元66kg級の選手だけに、身長175cm以上の選手が多い74kg級中では大きな方ではない(全日本王者の長島和幸=クリナップ=は175cm)。74kg級の体力を身につけたとしても、「大きな相手と闘う」という部分は消えない。「体の小ささを補う技が必要です」と、日本代表を手にするためにやらねばならないことはしっかりと認識している。

 もっとも、体の小さいと相手が「闘いづらい」と感じることも多く、必ずしもハンディになるわけではない。“タックル王子”として期待されている学生二冠王の高谷惣亮(拓大=177cm)は鈴木相手だと闘いづらそうで、両者の対戦は鈴木が4戦4勝と負け知らず。体の小ささが武器となっているのではないか。

 一方で、目標である長島和幸には3戦3敗。2009年全日本2位の高橋龍太(自衛隊)にも、今回の全日本選手権で初白星を挙げたものの1勝3敗という成績。発展途上の時期の成績とはいえ、相手に精神的な優位を持たれてしまう結果を残している。「苦手をつくってしまっては駄目ですよね」。74kg級としてひと山越えた今、過去の成績をしっかりと清算する時が来た。

 「自分も伸びているかもしれないけど、長島さんも伸びている。長島さん以上の伸びをしないと、世界選手権へは出られません」。厳しい現実を見つめ、五輪へ向けての追い込みに余念がない。
(右写真=全日本合宿で長島と練習する鈴木)

■3年間貯めていたエネルギーを爆発させる時

 小学校時代のみならず、その後も数々の記録を打ち立てた選手だ。京都・東宇治中時代に2年連続全国王者、京都・立命館宇治高では2年連続高校三冠王。立命館大へ進み、20歳の時にあった全日本選手権66kg級で決勝へ進出。この時の池松和彦との一戦は天覧試合というおまけつき。

 ひざの故障を克服して2007年に世界選手権へ出場。五輪代表権獲得にあと1位足りない9位となり、五輪出場を射程距離にとらえたが、最後に池松に五輪代表をさらわれ、北京のマットに立つ夢は消えた。

 しかし、このあとの行動は早かった。五輪を目指して燃えた選手なら、その夢が断たれたらしばらくマットを離れてもおかしくない。少なくとも、気持ちは離れてしまうだろう。だが鈴木は2008年6月、五輪代表を決めていた松永共広、池松の2人とともに英国、ドイツへの遠征に参加。74kg級に出場し再起の行動を起こした。早々と気持ちを切り替えて1階級アップに挑んだ成果を出すことができるか。

 「エネルギーを早々と爆発させないために、2番手、3番手にいた?」という問いには、「そんなことありません」と苦笑したが、表舞台から遠ざかった3年間で、エネルギーはしっかり貯まったはず。それを爆発させる時がやってきた。「苦手を克服するためにも、経験が必要。いろんな大会に出てみたい」と、4月末の明治乳業杯全日本選抜選手権の3週間後に予定されているアジア選手権(ウズベキスタン)の出場も熱望し、来たるべき勝負の時を見据えている。

 まず全日本選抜選手権。アジア大会で銀メダルに輝いた長島のが城へ挑み、熱き舞台を目指す。

 

inserted by FC2 system