2011年全日本チーム記事一覧


【特集】被災を乗り越えて青森からも参加
【2011年4月3日】


(文・撮影=増渕由気子)



 3.11東日本大震災から3週間が経過した。未曾有(みそう)の震災の爪痕は深く、日本における動脈である、東北新幹線は福島、宮城が不通のまま。東北自動車道は一般開放されたものの、電力不足、ガソリン不足などの影響で、交通に乱れがあるのが現状だ。

 ジュニアクイーンズカップのエントリーは震災前に締め切り、本来は青森、岩手、宮城、福島のクラブチームは12チーム参加の予定だった。だが、ほとんどのチームが参加を見合わせた。中には、連絡が取れないチームもあったという。震災で各クラブチームがどれだけの被害を負ったのかは計り知れない。

 その中で青森から夜行バスで大会にかけつけた選手もいる。ジュニア63kg級の赤坂美里(国際武道大学)だ。八戸クラブ〜八戸工高出身で、春休みで帰省中に震災にあった。港付近は津波の被害に遭った。幸い、住居には大きな被害はなかったが、練習環境が整わず、「3月下旬まで練習できなかった」と練習不足で大会に臨まざるを得なかった。
(右写真:赤坂=前列左端ら青森県関係者)

 数日前に行われるはずだった全国高校選抜大会(新潟市)の中止が早々と決まり、この大会の開催も不透明な期間があった。「私は今年が最後の大会なので、出たいなという気持ちが強かった」と振り返る。その後、正式に開催が決定したが、困難が立ちはだかる。新幹線が使えず、東京へ出るには空路か夜行バスしか方法がなく、席も取りづらい状況だった。

 練習不足に加えて、会場への足の確保が困難という理由で、出場をあきらめかけたこともあったが、高校の恩師が赤坂の背中を押してくれた。「八戸工で出場権利を持っている生徒はいたけど、高校選抜はなくなってしまった。だから、試合ができる赤坂は頑張れ」と。

 その言葉を胸に、夜行バスで東京に向かい、疲れを見せずに1回戦を勝ち抜き、世界ジュニア選手権へ夢をつないだ。最終日の準決勝の相手は2連覇を目指す渡利璃穏(至学館大)。「昨年の全日本選手権で負けている相手だから、頑張ります!」ときっぱり。出場できなかった選手の分も力を出し切ることを誓った。

 また、青森から応援に駆け付けた親御さんもいた。倉舘愛(東京・安部学院高)の母・由美子さんと、内城陽夏(愛知・至学館高)の母、秋子さんだ。ともに、高校1年生で寮生活を始めたばかりの子供の応援のために来場した。

 このタイミングで子供を手放すことに心配事は尽きないだろうが、「もっと困っている方がいるので」と、予定通りに子供が大会に参加できたことに感謝の意を示していた。

 

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