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【特集】世界選手権へかける(2)…男子フリースタイル55kg級・湯元進一(自衛隊)
【2011年8月11日】


(文=布施鋼治)



 男子フリースタイル55kg級の湯元進一(自衛隊=右写真)の評価が高い。昨年は5月のアジア選手権(インド)で前年の世界王者を下す殊勲。今年は1月にはロシア最高レベルの国際大会であるヤリギン国際(ロシア)で3位入賞。4月の全日本選抜選手権では初戦でつまずいたが、プレーオフで優勝した稲葉泰弘(警視庁)を下して代表入りを決めた。

 この日は北京五輪銅メダリストで60kg級を制した双子の兄・健一(ALSOK)も代表入りを決めていたので、日本初の双子兄弟での出場が決まった記念すべき日でもあった。

 「調子がいいですね」と水を向けると、湯元は「自分ではそんなに好調だとは思っていない」と謙そんした。「確かに戦績はついて来ているけど、負けた悔しさがあるので…。それしか(その悔しさを晴らすしか)なかったですね」−。

■2009年全日本選手権のつまずきで生活が変わる

 海外では抜群の実績を残しているものの、数年前までは、国内における安定度は今ひとつというのが湯元に対する一般的な評価だった。激戦階級にいるせいもあるのだろうが、それだけではあるまい。2009年12月の全日本選手権2回戦では、高校生(森下史崇=当時茨城・霞ヶ浦高)にまさかの敗北を喫した
(左下写真)。減量時に体重がストンと落ちて迎えた大会だったが、いざホイッスルが鳴ると身体に力が入らなかった。減量の失敗だったが、そのせいにはしたくなかった。

 悪夢のような敗戦ビデオを見返すまでに数ヶ月の期間を要したという。「周りからいろいろ言われても、笑ってごまかしていました。でも、コーチ陣から『この敗北を認めないと先に進めない』と指摘され、『これも自分のため』『ここを抜け出さないとダメだ』と腹をくくって見ました。そうしたら、試合中に力が入っていなかったり、腰が浮いていることが分かりました」

 それからだ。当たり前のことを当たり前のようにやるようになったのは。まずは食事の面から着手した。「トレセン(味の素トレーニングセンター)だと、食事がバイキング方式で何でも食べられるけど、油モノは控えたりするようにしています。時期的に大丈夫だと思っても、生ものに手を出すこともなくなりましたね」。以前は引きやすかった風邪にも細心の注意を払うようになり、コンディションのつくり方は間違いなく上達している。

 「調子の上げ方は、闘うたびにうまくなってきているんじゃないかと思います。周りからも『試合前にコンディションをちゃんと作れるようになってきた』と言われるようになってきました。2ヶ月前にはガムシャラに練習をやって失敗を繰り返す。1ヶ月前からは、どんな練習をしたらいいのかをちゃんと考えてやるようになりました」。本番まであと1ヶ月、きっちり仕上げてくれるだろう。

■兄弟で出場だが、最終的には“自分一人での闘い”!

 全日本チームの「40日合宿」の初日(8月1日)、湯元は兄・健一と一緒に汗を流す機会が多かった
(右写真写真=兄と練習する湯元)。「社会人になってからはよく声を掛け合うようになりました。やっぱり動きを見ていたら、調子が悪いこととかすぐにわかるので、『こうした方がいいんじゃないか』といった感じでね。高校まではともにライバル心が強すぎたせいで、兄弟げんかに発展することもありましたけど…」

 どんな兄弟げんか? 「バーベルを投げ合ったり、家の壁を壊したり−。親には『けんかするくらいなら、レスリングをやれ!』と怒鳴られていました。いまはもう仲がいいですけど、最終的には兄弟でも分からないことがありますからね。そこは自分でしっかり考えないと。やっぱり経験で理解できることもありますから」

 初出場となった2009年の世界選手権では、不可解な判定で2回戦敗退に終わったが、湯元は前向き。それも世界を獲るための試練のひとつと考えた。今回は2度目の世界選手権。湯元は、世界選手権はオリンピックと同等ととらえている。「そういう気持ちじゃないと、国内だけではなく、世界でも負けてしまう」。そう語ると、湯元の眼光は余計に鋭くなった。

 「だから、まずは今回のトルコ世界選手権。そうすれば、ロンドン五輪の金メダルも見えてくるはず。いまは兄貴に『オレが金を獲るから、おまえもついてこい』くらいの気持ちです」−。



湯元進一(ゆもと・しんいち=自衛隊)
 1984年12月4日、和歌山県生まれ、27歳。和歌山・和歌山工高〜拓大卒。高校時代は全国高校選抜大会2位など。拓大2年の04年に全日本大学グレコローマン選手権で優勝したが、本来はフリースタイルの選手。06年は国体で優勝。07年はダン・コロフ国際大会で海外初優勝と力をつけた。07年全日本選手権は3位。08年の北京五輪出場には手が届かなかったが、同年の全日本選手権で初優勝。09年アジア選手権では前年の世界王者を破って優勝し、ゴールデンGP決勝大会でも優勝と実力を見せた。162cm。



 ◎湯元進一の最近の国際大会成績


 《2011年》

 【1月:ヤリギン国際大会(ロシア)】3位(28選手出場)
3決戦 ○[2−1(TF0-7,1-0=延,3-1)]Artyom Gebekov(ロシア)
敗復戦 ○[2−0(4-0,2-1)]Altinbek Alimbaev(キルギス)
3回戦 ●[0−2(0-1,0-1)]Jamal Otarsultanov(ロシア)
2回戦 ○[2−0(2-1、TF7-0)]Konstantin Mostepan(ロシア)
1回戦  BYE

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《2010年》
 
【7月:ゴールデンGP決勝大会(アゼルバイジャン)】優勝(21選手出場)
決 勝 ○[2−0(2-2,1-0)]Nariman Israpilov(ロシア)
準決勝 ○[2−0(TF6-0,1-0)]稲葉泰弘(警視庁)
3回戦 ○[2−1(1-0,0-2,1-0)]Besarion Gochashvili(グルジア) 
2回戦 ○[2−1(0-1,TF6-0,TF7-0)]Kazbek Shamsutdinov(ロシア)
1回戦   BYE

 
【5月:アジア選手権(タイ)】優勝(14選手出場)
決 勝 ○[2−0(1-0,1-0)] Nasibu Kurbanov(ウズベキスタン)
準決勝 ○[2−0(1-0,2-1)]Yang Kyong-il(北朝鮮)
2回戦 ○[2−1(0-3,1-0,1-0)]Hassan farman Rahimi(イラン)
1回戦 ○[2−0(2-1,TF7-0)]Ramil Rejepov(トルクメニスタン)

 
【3月:メドベジ国際大会(ベラルーシ)】
2回戦 ●[1−2(0-1,1-0,0-1)]Dzhamal Otarsultanov(ロシア)
1回戦 ○[2−0(1-0,TF6-0)]Andrei Komar(ベラルーシ)

 
【2月:デーブ・シュルツ国際大会(米国)】優勝(15選手出場)
決 勝 ○[2−0(3-2,1-0)]Kim Hyo-Sub(韓国)
準決勝 ○[2−0(7-1,6-0)]Paul Donahoe(米国)
2回戦 ○[フォール、2P1:26(5-0、F)]Brandon Precin(米国)
1回戦 ○[2−0(5-1,6-0)]Anil Kumar(インド)

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《2009年》
 
【9月:世界選手権(デンマーク)】13位(32選手出場)
2回戦 ●[0−2(2-3,1-3)]Rizvan Gadzhiev(ベラルーシ)
1回戦 ○[2−0(1-0,1-0)]John Pineda(カナダ)

 
【2月:ダン・コロフ国際大会(ブルガリア)】3位(8選手出場)
3決戦 ○[2−1(1-0=2:03,0-2=2:05,1-0)]Naranbaata Bayara(モンゴル)
敗復戦 ○[フォール、2P0:58(5-1,F5-0)]Krum Chuchurov(ブルガリア)
3回戦 ●[1−2(0-2,2-1,1-3)]稲葉泰弘(警視庁)
2回戦 ○[フォール、1P0:53(F4-0)] Chergui Ammar(アルジェリア)
1回戦 ○[2−0(5-0,TF8-0=0:47)]Wild Urs(スイス)

 
【2月:ヤシャ・ドク国際大会(トルコ)】優勝(33選手出場)
決 勝 ○[2−1(2-0、TF0-6,1-0)]稲葉泰弘(警視庁)
準決勝 ○[2−0(4-0,4-0)]John Pineda(カナダ)
3回戦 ○[2−0(3-1、TF7-0)]T. Davaaknuyag(モンゴル)
2回戦 ○[2−0(1-0,1-0)]Ceyhan Aliyev(アゼルバイジャン)
1回戦 ○[2−0(2-0,2-1)]Elsan Mirzayen(アゼルバイジャン)

 

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