【特集】120kg級日本代表の参戦も「いつもと変わりない」…男子フリースタイル96kg級・磯川孝生(徳山大職)
【2010年12月8日】


(文=樋口郁夫)



 先月のアジア大会(中国・広州)で、5月のアジア選手権(インド)に続いて銅メダルを獲得した男子フリースタイル96kg級の磯川孝生(徳山大職=左写真)。前回2006年のドーハ・アジア大会では、重量級の派遣カットという厳しい洗礼を受けていた男子チームだけに、今回の重量級の成績にはいやがおうでも注目が集まった。その中でのメダル獲得で、「派遣は間違いではなかった」ということを証明した。

 もっとも、2012年ロンドン五輪のマットに立つために息つくひまはない。12月21〜23日の天皇杯全日本選手権(東京・代々木競技場第2体育館=同級は22日)では、9月の世界選手権(モスクワ)のフリースタイル120kg級代表だった下中隆広(国士舘大クラブ)が階級を下げて参戦する。

 全日本選手権が12月に行われるようになった1993年以降、男子で世界選手権の代表同士がその年の全日本選手権でチャンピオンを争った例はない(女子では数例あり)。「昨日の友は、今日の敵」−。重量級の復権をかけて汗を流した同志は、一転して激しい火花を散らして闘う間柄となった。

■1階級上の日本代表でも、計量器に乗る時は同じ体重

 受けて立つ磯川には特に気負いはない。「いつもの大会と変わりません。自分のやるべきことをやるだけ。試合に臨む姿勢は同じです」と話し、下中を特別に意識はしていないことを強調する。全日本合宿で練習は何度もやっている相手。「120kg級で勝った選手だけに、パワーはあります。注意すべき点です」と、1階級上だった選手のパワーを警戒することは否定しなかったが、「計量器に乗った時は同じ体重です」と言う。

 96kg級へ落とせるだけの体重だったから落とすのだろうが、それでも減量による体力ダウンがあることは明白。120kg級と96kg級では、当然闘い方も違うわけで、闘い方まで「重量級」とひとくくりにできるものでもない。「自分には96kg級で闘ってきたものがあります」と、この階級の第一人者としてのプライドを口にした
(右写真=アジア大会の3位決定戦で勝った磯川)

 「この階級のチャンピオンはオレだ、という意地?」という問いに、「それはあります」ときっぱり。「意地がなければ、オリンピックなんて出られないでしょう」。1階級上の選手が下りてきても、動じる気配はまったくない。

 アジア大会での銅メダル獲得が大きな自信になっているようだ。それだけの練習をやってきたという自負はある。「今回は(自分の銅メダルしか)結果が出ませんでしたが、フリーもグレコも重量級の意地を見せようと、コーチとともに必死に練習してきました。『結果が出る』と信じて」。猛練習を経験して結果を出した選手だけが持てる自信は、1階級上の日本代表の参戦にも動じないだけの強固なものだ。

■ハード日程も、「オリンピック出場に必要なこと」

 有利不利の状況としては、下中がアジア大会を辞退して全日本選手権に照準を合わせたのに対し、磯川は9月に世界選手権、11月にアジア大会と闘い、その1ヶ月後に全日本選手権を迎えること。肉体面の疲労のほか、人間である以上、銅メダル獲得で心に隙・慢心が出ないとも限らない。

 磯川は、それも自分への試練と受け止めている。心の隙や慢心との闘いは言うまでもないが、「きつい日程であっても勝ち抜くというのが、オリンピック出場に必要なことでしょう。オリンピックのトライアルは、かなりのハード日程です。ハード日程を勝てない理由にはしない。自分に厳しくやっていきたい」と話す。

 昇り調子の人間は、自分にふりかかるあらゆる出来事を肯定的にとらえるもの。今の磯川には、1階級上の日本代表の参戦も「必要な試練」と受け止める強さがある。帰国して、周囲の人から多くの祝福を受けたことで、上を目指す気持ちはさらに強くなったという。重量級を支えた男の意地が、全日本選手権で爆発するか
(左写真=西日本学生秋季リーグ戦で学生選手にアドバイスをおくる磯川)

 

inserted by FC2 system