【特集】決勝進出も、「意味のない銀メダル」と悔し涙…男子フリースタイル60kg級・小田裕之(国士舘大)
【2010年11月24日】



(文=増渕由気子、撮影=保高幸子)



 9月世界選手権で初戦敗退の屈辱を味わったフリースタイル60s級・小田裕之(国士舘大)は、アジア大会で決勝まで駒を進めた。2009年アジア選手権2位のマンダクナラン・ガンゾリグ(モンゴル)にフォール負けしたが、銀メダルを獲得。世界に通じる片りんを見せ付けた。

 アジア大会、世界選手権と夢の舞台への道のりは大変なものだった。世界選手権後は病気の治療のために10日間ほど戦線離脱。一時は代表辞退する可能性もあったそうで、その中で2大会もこなして得たアジア銀の価値は高いはず。

 だが、決勝戦でフォール負けした小田は悔し涙にくれ、タオルで顔を覆った。表彰式でも笑顔はなく
(右写真)、気持ちの整理がつかないまま臨んだ会見では、途中で感情がこみ上げてきてしまったほどで、「課題とされてる、攻めることができなかったから負けた」と繰り返した。

■松永共広以来のキッズ・エリートは、これからが勝負!

 決勝のモンゴル戦では、第1ピリオドはクリンチになり小田は優先権を得たが、世界選手権同様に相手に切られてしまった。その後、必死にアタックして点数をもぎ取り、1ピリオド奪取に成功するも、「課題ですね」と小田は反省の弁。田南部力コーチ(警視庁も「有利すぎるので、どうしても気持ちが抜けてしまうのでは」とメンタル面を指摘した。

 第2ピリオドは1点を取られたあと、返されてさらに2失点。田南部コーチは「返されたのは場外のように見えたので1点」と思い、チャレンジ(ビデオチェック要求)のスポンジを投げたが、小田は「場外に出たかどうかは、自分では判断できなかった。チャレンジ失敗で0−4より、3点(ビハインド)ならギリギリかえせるかな」と拒否。0−3のまま続行し、一時は2−3まで追い詰めるも、2−4で落としてしまった。

 勝負の第3ピリオドはタックルでテークダウンを奪われてアンクルホールドで序盤に0−5とリードされてしまった。諦めなかった小田は、逆転を信じてテークダウンで1点。残り40秒を切っていたため、「3点を取りに行かないといけないと思った」と強引に俵投げへ移行。しかし、冷静だった相手に足をつかまれ
(左写真)、ニアフォールからそのままフォールされてしまった。

 「銀メダルにあまり意味はないです。(金だったら)あったかも」。どんな状況でも“優勝”の二文字を目指す小田は、キッズあがりの天才と称された2008年北京五輪銀メダルの松永共広と重なって見える。小田は松永以来のエリートの登竜門である全国中学校選手権を3連覇した偉業を持つ。キッズ・エリートの名にかけて、松永に続く大輪の花を咲かせて見せるー。

 

inserted by FC2 system